静岡での講演


昨日、静岡で「二刀流の功罪」という題名の講演をさせていただきました。
どちらの治療も行えることには良いことの方が圧倒的に多いのですが、勉強することが多くなるなど、大変な点もあります。
昨日は脳外科の先生が多かったので、具体的なお話をさせていただきました。
お招きいただいた志太記念脳神経外科の豊山先生、ありがとうございました。

コメント一覧

  1. I.T より:

    続けてください
    ブログこれからも続けてください!必ず読みます。過去の記事でいずれ編集して出版するとありましたが、いつ頃の事なんですか?今から楽しみです。出版されたら必ず買います。これからも色んな記事を期待しています!

  2. はまゆう より:

    二刀流の<功>と<罪>

    吉村先生

    この度は、「動脈瘤治療:二刀流の功罪」と題するご講演をなさったとのこと。
    命に直結したテーマのご講演! いつもながら、ご盛況であったにちがいありません。

    これまでも、外科的手術(切る手術)と血管内手術(切らない手術)の双方の治療実践を
    意味する「二刀流」の意義について、
    「二刀流の達人」である吉村先生に、
    「脳動脈瘤治療 二刀流」(2010年2月7日)、「二刀流の会」(2010年11月9日)を
    はじめとする多くの記事を通して教えていただいてきました。

    皆さんおっしゃるように、吉村先生のブログ記事はとてもわかりやすく、
    「二刀流」ということでは、
    「脳動脈瘤クリッピング術」と「脳動脈瘤コイル塞栓術」、「頸動脈内膜剥離術」と
    「頸動脈ステント留置術」といった対応関係が、素人にも即座に想起されます。

    ところで、
    今回の記事を拝見して、「アッ」と目を奪われましたのは、「功罪」という表現・・・

    「どちらの治療も行えることには良いことの方が圧倒的に多いのですが、
    勉強することが多くなるなど、大変な点もあります。」

    と記されていますので、患者さんの個別の条件に応じて、より良い結果をもたらす――
    より相応しい治療を施すことができる「功」に対して、
    「罪」とは、あまりに「勉強することが多い」ために、双方の治療法ともに、知識や
    技術習得が中途半端になってしまう危険性があるということなのでしょうか。
    素人の思い違いでしたら、どうぞお赦しくださいね。

    しかし、その素人考えでは、
    「二刀」による治療の選択肢を用意することで、個々の患者さんの症状に応じた
    適切な治療方法を実践することができるという「功」については、
    どんなに強調しても強調し過ぎることはないように思われます。

    きっと、<二刀流の罪>とは、日々息つく間もないほどご多忙の先生方にとって、
    「勉強することがあまりに多い」というご負担をもたらすことであるにちがいありません。
    <罪つくり>な「二刀流」ではありますが、
    先生方、どうぞ、どうぞ、宮本武蔵に勝るとも劣らない<鍛錬の達人>、そして
    文字通りの<名人>となってくださいませ。

    脳神経外科という、心身ともに苛酷な診療科を選ばれた先生方に、いつものように、
    心よりの感謝とエールをお送りします。

    末筆ながら――
    宮本武蔵の「兵法の奥義――五輪書」に勝るとも劣らない、
    吉村先生によって語られ著わされる「医学の奥義――五輪書」の上梓を、
    大勢の愛読者の方々とともに、心待ちにさせていただいています。

  3. MRK より:

    患者の立場から‥
    講演も聴かずにコメントするのは少々気が引けますが…。
    「二刀流の功罪」と意味深なタイトルに一瞬「?」と思いました。いろいろ解釈できますから…。
    先生がどんな思いで「功罪」と表現なさったのか。
    単なるメリット、デメリットという意味なのか?もっと深い意味があるのか?
    患者の立場から、二刀流には正直なところ複雑な心境になった時期もありました。
    どちらも中途半端なのでは?などと、大変失礼なことを…。
    実際、先生の施術を受けたので言えることですが、先生はどちらの道も極めておいでです。
    並々ならぬ努力の賜物なのだと思います。
    通常の何倍も何十倍ものご苦労があることもお察しします。
    その対価として、患者はずっと同じ先生に診ていただける安心感、同じ先生に総合的に診断していただける満足感を得ています。今は先生が二刀流であることに、非常に有り難味を感じています。
    一患者の意見ですね。